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決めつけた枠の中でしか物事を判断しないと、
何年経っても物の見方の幅が広がらないのではないかと思う。
同じ失敗を繰り返す原因はそういうところにあるんじゃないだろうか。

「常に例外は存在する」し、理論的に正解だろうがなんだろうが、
その時の感情によっても左右され、矛盾を生むのが人間のはず。

正論を振りかざしてばかりで、例外を受け入れる配慮がなかったり、
相手の気持ちや心のありようを見落として、
自身の組み立てた正当性や借り物の正義をもって、ねじ伏せようとする。
それでは、結局は誰も着いて行かないだろう。
あまりに息苦し過ぎる。

人間は理路整然とプログラミングされた機械的なものではなく、
生き物であり、本来は動物であるのだから、
他人に矛盾を問い詰めたところで、意味はない。
そのときはそういう気持ちだったのだ。

決まった数式や文字列によって導き出されるものが、
全員、同じ答えでなければ受け入れられない、というのであれば
それはもう相手を生きた人間だと思っていない、
あるいは、思っているつもりでも思えていないのではないだろうか。

そうなってくると、決めつけた枠からはみ出た人間を非難するようになり、
正論を押し付けて枠におさめようとする。
考えを譲るだとか、相手の気持ちを尊重するだとか、
ましてや自分の姿勢を省みることも、なかなかできない。

だから対した相手は、心を開けなくなる。
どれだけ親切顔でなんでも相談にのると言ったところで、
自身に無い他人の考えを受け入れる気がないのだから、
相手からすれば、話しようがないのだ。

すべての人間に同じ理論が通じるわけがない。
ある人は真っ当な逆の意見を言い、
またある人は、理屈で論ずることすら虚しいと感じているかもしれない。

論破し、自分の枠におさめようとするのではなく
例えば相手の「信じ難いこと」を「信じ難いこととして受け入れる」ことが
できるようになるだけで、
物の見方の幅はずっと広くなるのではないだろうか。


……などということを
最近、色々と考えさせられることがあったので、
ちょっとだけまとめておくことにした。
少し考えをまとめてみるだけで、気持ちの整理も付く。


さて、明日も仕事を頑張ろう。


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